旧柏倉家住宅とは

山形県中山町の岡地区にあり、国指定重要文化財となった住宅が旧柏倉九左衛門家住宅です。九左衛門家は村山地方の豪農として、江戸時代には紅花生産を盛んに行いました。分家を多数出し、九郎兵衛家、惣右衛門家、喜右衛門家、喜作家などが近隣に建ち並び、黒塀のまちなみを形成しています。

 

現在、旧柏倉九左衛門家住宅と旧柏倉惣右衛門家住宅は中山町によって管理・公開されています。

 

 

 ▶︎旧柏倉家住宅ホームページ https://kashiwakurake.jp/wp/

柏倉喜作家

※屋号「カネキ」
※屋号「カネキ」

  

柏倉喜作家は、柏倉九左衛門家のカマエ(一族)で、喜右衛門家から1817年に分家しました。カマエ内では屋号で「カネキ」※とも呼ばれます。

 

旧柏倉惣右衛門家住宅の北側に約700坪の敷地があり、江戸時代に建てられた茅葺屋根の主屋とそれに続く土蔵がありました。建物は平成10年に町の重要文化財に指定されましたが、残念ながら平成21年に主屋が取り壊され、現在は土蔵と、蔵と主屋をつなぐ廊下部分が残っています。 

 

当時の主屋
当時の主屋

 

現在は、遠方にいる当主よりNPO法人柏倉家文化村が敷地と建物を借り受け、一体的に管理・運営を行っています。

 

代々の当主についてはよくわかっていませんが、4代当主であった喜十郎は画家で、中山町小塩出身の画家小松雲涯に弟子入りし、東京に出てからは川端玉章に師事しました。

玉章から1字もらって雅号を雪章とし、画家として絵を描く傍ら、九左衛門家住宅の意匠(仏蔵の欄間や板戸、各部屋の障子の手掛け部分の切り絵等)デザインをするなど幅広く活動していたようです。弟子に東京で活躍した日本画家石山太柏がおり、蔵座敷の障壁画は太柏の作です。

 

また、5代亮吉は山形大学名誉教授となった考古学者でした。多くの短歌を詠み、平成4年に歌集「風花」を著すほか、人々に親しまれ町の名誉町民となりました。